天使にはなれない。
私と彼を聖書で例えるなら、神に愛された堕天使とその堕天使を滅ぼした天使。
ミカエルには負けない
「………ねぇ稜子、今更聞かれた私の身にもなってよ」
真正面に座る相手に気が抜ける。
本人は至って真面目に言ってきたのだろうけれど。
「そ、そんなこと言ったって………!!」
思考が思わぬところに飛んでいく。
これでこの子相手に気が抜けるのも何度目だろう。
数えてもキリがないのはわかっているけれど、だって。
あまりにも今更なことを言うものだから、つい、ね。
「だって、ルシファーが元は天使だったなんて知らなかったんだもん…!!」
ああ。
一体、この子は今まで資料として何を読んできたのだろう。
「今まで"輝石"の発行にあたってアンタは何を読んで作品書いてきたの?」
私の問いに、稜子はちょっと考え込んでから、
「えっと…………日本のオカルト物…」
「だけ?」
「だけ」
よくそれで今までネタが思い付いていたものだ。
天使。
ある意味、部内では最も使い古されたネタ元なのだが。
それだけに、何も言わなくとも知っているものだと思い込んでいた。
今日、図書室で私の本を覗き込んでいた稜子が突然
「えっ!?ルシファーって天使だったの!?」
なんて間抜けなことを言うまでは。
すっかり縮こまってしまった稜子に少しだけ申し訳なく思って、思わず立ち上がっていた私は再び腰を下ろした。
それから、この話題はさっさと葬ってしまうことにした。
面倒なことが起きる前に。
「まぁ、それはどうでもいいとして」
「どうでもいいんだ……」
「何、延々引き擦って欲しいの?」
「イイエ、ケッコウデス」
何処か機械的な返事を右から左に聞き流し、再び本に戻ろうとした。
―――――したのだが、稜子はそれを止めてきた。
当然、読書を中断された私の機嫌は必然的に悪くなる。
「……何」
意図的に疑問符も付けずに言ってやると、稜子はまたしても縮こまった。
そんな態度取るぐらいなら初めから止めてくれるなと言いたかったけれど、いい加減本を読む気力が失せてきたのもまた本当。
私は手近にあった付箋を栞代わりにして本のページに貼り付けると、パタンと閉じた。
「で、何?」
今度は向き合って、ちゃんと疑問符も付けて。
すると稜子は私の機嫌がそう悪くないことを察したのか、笑顔になって隣に腰掛けてきた。
別に怒ってないわけじゃないんだけどね、稜子?
当然、そんな私の心中はあっさり無視して、稜子は寄ってきた。
「あのね、ルシファーのこと、まとめて説明して欲しいなって」
要するに、イチから資料を読んでいくのがめんどくさいと。
これが近藤だとかだったら完璧突き返してるところだけど、稜子は女らしい女の子だ。
さすがにそこまでキツいことは言えない。
おまけに、今の稜子は目をキラキラさせて、まるで寝る前に絵本を強請る幼児みたい。
ええと、つまり。
私は、結局稜子に話して聞かせる羽目になったのである。
……起こってしまった、面倒なこと。
「………つまり、ルシファーはもともと一番神様に愛されてた天使だったけど、その神様に刃向かったからミカエルに殺されたの?」
「掻い摘みまくっていうとそうなるね」
2回説明したせいか、さすがに飲み込んできたらしい。
「そっか…。何か悲しいね、ルシファー」
「別に。悲しいっていうか、寧ろ愚かで哀れだと思うけどね」
私がそう言うと、稜子はきょとんとして
「どうして?」
なんて聞いてきた。
それは1人ひとりの意見だから聞いたって意味ないと思うけど、それは口に出さず、何となく説明してやった。
多分それは私の頭の中でまとまった答えが出ていたからなのだろう。
「ルシファーって、神から誰よりもの寵愛を受けて、天使の中じゃ一番強かったでしょ?頭も良かった」
私の言葉をしっかりと咀嚼して、稜子は頷いていく。
「だからこそ、自分が一番神から遠いことに気付いてしまった」
「……遠い、の?」
近いんじゃなくて?
稜子は言外にそう含めて返してきた。
「遠いよ。言うでしょ、似ているものは似て非なるが故に、互いが一番遠いって」
私の言葉に稜子は少し考え込んでいたけれど、やがて思い出したように頷いた。
「言うね。…それが、ルシファーと神様?」
「そうだよ。私は少なくともそう思う」
ルシファーは神に一番近い者。神にとても良く似た者。
けれどそれは似て非なるが故に、自らが一番神に遠いことに気付いてしまう。
神に近すぎるせいで、神にはなれない。
それに気付いてしまったからこそ、ルシファーは頭が良くて、愚かで、そして哀れ。
「ミカエルは離反したルシファーを殺したことで、神に一番近い者になった」
この天使はどうだったのだろう。
多分、気付いていなかったのかもしれない。
神に一番近い位置で仕えることの喜びしか、無かったのかもしれない。
だから。
「ミカエルには、ルシファーのように12枚もの羽根が無い」
きっとミカエルには、ルシファーよりも高い高みは望めない。
私には。
ひとつだけ、どうしても頭から離れない戯言のような思考回路がある。
一度だけ、彼女に向かって言った言葉。
「アンタ、ミカエルでも気取ったつもり?」
彼女が、返してきた言葉。
「ふふ…。聖書のような清らかな物語では、終わらないの」
顔を顰めた私に、彼女はもう一度笑った。
「あれだけ極上のお伽話もないよね。だって、一番は変わらないんだよ」
「…この世界じゃ変わるっていうの」
「この世界に限らず、全てのモノ、全ての出来事は流転していくの。変わらないことなんて何もない」
自らの庭で。
彼女は、全てのモノを慈しむかのように空に手を伸ばす。
けれど、その手が生み出すのは魔物。
「だから、彼は私に負けたんだよ」
「……摩津方…」
私の漏らした言葉に、"魔女"は、さも嬉しそうに笑う。
悪寒しかしない笑みを見せるこの女は、私にとって敵以外の何者でもない。
なのに、彼女は私たちの味方だと言う。
一方的な矛盾。
彼女の中では、きっと既にわかり切った理屈だから。
「彼はルシファーよりも神に近い存在。だって、彼は神を信じる、天使じゃない存在だから」
最早この意味のわからない言動にも慣れてきてしまった自分がいる。
人間の適応能力って恐ろしいものがあるよなぁなんて、頭の隅っこで思ってみたり。
「そして私は、そんな神に敵対する者。ある意味、私はミカエルに一番近いよね」
近いだけで、それは所詮非なるものだから。
そう言い含めて、欠落した少女は私ににっこり笑いかける。
それと反比例するように、私はかなり不機嫌になっていた。
「神に敵対するってことは、神に成り得る存在であるってこと?…冗談じゃない」
そんな企み、絶対に止めてみせる。
そこで私はようやく踵を返した。
どうせ乗り掛かった船、私はそこから降りるほどへたれちゃいない。
全てが移り変わると言うのなら、"魔女"が全てでない可能性もある。
敵は1人じゃない。
そう、同じように欠落した少年も。
「………やってやろうじゃない」
++アトガキ++
お久Missing。
久しぶりすぎて書き方を忘れたなんてとても言えません(言ってる)
どうも私は亜紀視点で書くのが一番書き易いらしい。