浮き足立った、奇妙な感覚。


 忘れかけていた。








 これは、感じたことがある。

 目を閉じたら、一気に引き込まれる。

 眩暈も、吐き気も、抑え込まなければ呑まれてしまう。

















































      予見者の転生















































「…………きもちわるい……」

 翌日の早朝、約束を破ってしまったことを謝らなければと早めに登校した

 が、校門をくぐり靴箱まで辿り着いたところで急な眩暈に襲われる。同時に感じる吐き気に、思わず壁にもたれかかった。

 浅い呼吸を繰り返すことが精一杯。夏だというのに、少々ながらも体が震える。体の芯が冷たい。

 息が詰まる、とはこういうことをいうのだろうかと、酸素が足りないくせに妙ちきりんに冷静な頭で考える。

 自宅を出てから通学中は何ともなかったのに。

 ふ、と、20分前の自分を思い出す。

 家を出て、特に何かに遭遇することもなく、弱い弱い気配こそあったものの、こちらが引っ張られるほどのものでもなかった。

 それが、校門をくぐれば眩暈、靴箱まで歩けば吐き気と寒気。風邪にもよく似ているが、たかだか20分でそんなわけがない。


 ここまできて何もないほうがおかしい。

 の生まれつきの体質と性質からして、これは十中八九『何か』に『当てられた』ときの拒絶反応だ。

 だが、こういうとき真っ先に現れる灯が今に限って出てこない。


『私をあまり呼ぶな』


『本物が此処にはいる』


 灯は嘘をつかない。ならば、原因がこの学校にあるとしか思えない。




 しかし、見た目は普通の学校となんら変わりないのだ。

 俗に言う「霊感スポット」特有の陰鬱な空気と、常についてまわる生温い風がこの学校には感じられない。






 だからこそ、不思議で仕方ない。





 奇妙なほど、それらが払拭された空間。それを初めは歓迎したが、そんなことは『あるはずがない』。







「………おかしい…」

 あまりに何も感じられない場所なんて。

 まるで、薄くカーテンが引かれているような錯覚をおぼえる。

 と、そこで思考が一旦止まる。


「―――カーテン?」

 自分の思ったことを今度は言葉にあらわす。

 口に出してから、思わず目を見張った。一旦止まった思考が、今度は唸りをあげて回りだす。


 ――――まさか。まさか、そんなことってできる?





 カーテン。もし自分の言ったことが今のこの学校の状態に近いとしたら、納得がいく。

 何も感じないその理由も説明がつく。


 だとしたら、この学校はカーテンを引いてまで隠さなければならないほど、実体はマズイものではなかろうか。





「…ったくどうなってんの、この学校………」

 ダメだ。転校してきたばかりで、何もわからない。

 わからないことが多すぎる。


「謝るついでに訊いてみよ…何か、わかるかもしれないし」

 ふらついた拍子に転ばないよう、足元に全神経を集中させてゆっくりと歩いていったは気付いていなかった。

 そこはかとなく体調がおかしいから、気付かなくても仕方ないといえばそれまでだったのだが。

 空目のような能力があれば、そこで自らの体調が思わしくない原因にも思い当たったかもしれない。





 先ほどまでもたれていた壁。

 の人型が影となって残り、壁に呑まれていくその瞬間。










 立ち込めたのは、むせ返るほどの甘い匂い。


















 教室ではなく文芸部の部室にいた空目は、分厚い装丁の本を読み耽っていた。

 ページをめくりかけたところで、不自然に指が止まる。

 目聡く村神がそれに気付くが、空目はその体勢のまま動かない。徐々に眉間にシワが寄っていく。

 代わりとでもいうように、傍らに佇むあやめがはっと顔を上げた。

「………っ……」

 何かを言いたそうにくちびるを薄く開くあやめを見遣り、何かが確信に変わったらしい。


 がたん、と椅子を鳴らして立ち上がり、手に持った本を勢いよくパタンと閉じ、机に投げる。

 冷静沈着を具現化したような少年の荒っぽさに珍しさをおぼえ、村神はあやしんだ。

「……何かあったのか、空目?」

 その問いに空目は簡潔に答えた。



「匂いがする。……今までとは若干、種類が異なるが系統は同じだ」

「………異界か…!」

「ああ。しかも今回は匂いがきつい。かなり干渉が利く者が何かを起こしたんだろう」

 しかし空目はひとつ、村神に告げなかった。


 それが故意によるものか、あるいは偶発的なものか。

 もしも後者であるならば、昨日待ちわびていた少女の作用かもしれないということを。

「…ならば回りくどいが仕方ないな」

 ぼそりと呟いた言葉は村神まで届かなかった。

「行くぞ」

 どこにだ。とは訊かず、村神はさっさと歩いていく空目の後を追う。




 空目は匂いの種類が異なると感じていた。

 むせ返るほどの強い匂いには違いないが、強烈に何かを引き寄せる作用は持ち合わせていない。

 魔女が『呼んだ』ものではない。

 だからこそ、故意か偶然か、決定しかねるのだ。

 後者であるとすれば、恐らくしでかした本人はおのれのしたことをわかっていない。

 となると、この学校内で話が通じるのはひとりだけだ。









 目指す場所は、中庭。















 立ち込める気配についっと顔を上げて、魔女はひとり微笑んだ。

 時折肌を撫ぜてゆく風にも揺れることない水面に浸けていた手を、そっと持ち上げる。

 重力に従ってぽたぽたと零れる水滴の向こう側にこれから紡がれる『物語』を視て、その笑みはより一層深くなった。



 ――――あの調子だと、もうちょっと先のことになるかと思ってたんだけど。



「……思いのほか、『彼』の存在は効いたみたいだね………」

 囲む『光』が、強さを増している。

 少し気を緩めれば、あるいはこちらの目が眩むかもしれない。

 そうなると、こちらからは彼女が捉えられなくなる。


 『物語』を知る者を、みすみす逃すことになる。



 それは何としても、抑えなければ。

「おもしろく、ないからね」




 彼女は観客なのだ。

 1度その物語を観た、リピーター。

 それゆえに彼女は舞台の先を知っている。



「まだ、それを思い出すまでには至ってないみたいだけど」

 無意識でも、異界へ干渉する力を得たのだ。

 さらには、まだ来て間もないのに、この学校の秘密の一端を知った。

 仮説でも何でも、そこへ行き着くまでのスピードは詠子が知る限り最短だ。

 恐らくは、それが少女が――が、予見者と言われるゆえん。

 1度読んでしまった本を再びめくるとき、人は知らないうちに自らにとって無用なページを飛ばす。

 一切の過程を省いて、結論に辿り着く。そこに至るまでのページを読む必要は、ない。


 『彼』がどんな手を使ったかは知らないが。

 思い出すのも、時間の問題。








「………もうすぐ役者さんもやってくるし、楽しみだね……」




 晴れているはずの空が、陰鬱に嗤った気がした。









+++アトガキ+++

 ものっそい久しぶりに書いたのでもう何がなんだかわけわかめで(お前がな!)