突如現れた客人。

 凛として、あっけらかんとして、つかみどころがない。















































 いつものように城の周りを見回った後、叫び騒ぐ女官どもに遠慮もせず姫のいる御殿へ向かう。

 銀竜の血を振り払い、大股で橋を渡る。

 どれもこれも、いつものこと。




 ただ。







「――――――あぁ、あなたが黒鋼ですか?」


 出迎えたのは、黒髪をなびかせた姫巫女ではなく。

 彼女を護衛する役目のくノ一でもなく。



「…………誰だテメェ?」



 褐色混じりの髪を結い上げた、ひと目見てそれとわかる異国の女。

 オレの視線にも怯むことなく笑い、名を告げた。




「―――………


 それがあの女との出会い。













さまはわたくしが尊敬する方のおひとりです。くれぐれも粗相はせぬようになさいませね」

 にっこり笑って命令されては、配下の俺に逆らう術はない。

 澱を溜め込んだようなしっくりこない違和感を抱いたまま、再び今度は姫の隣に立っている女を見る。

 目が合うやいなや、ふわりと笑む異国の女。やはり警戒心を解くわけにはいかなかった。

 ふと蘇摩に目をやると、曖昧ながら笑みを浮かべた。

(姫様はご正気のようだ。そうなれば、いくら素性が知れぬとて無下に扱うわけにはゆかぬ)

 ―――要するにオマエも怪しんでんじゃねぇか。

 目を見るだけで会話する。

 当然、口には出さない。というか、姫の目の前でこんなことは口に出せない。


 なのに。






「わたしが信用できないなら、わたしがここにとどまる間はわたしを監視していれば良いわ」




 ―――ぎっと本能のまま鋭い視線を女に向けた。



 なぜ。どうして気付いた。


 考えれば考えるほど睨む双眸に憎悪がにじむのがわかった。

 それは普通の人間なら女子供はおろか男まで怯む目つきだと以前に言われたが、女はそれすら怯まない。

 穏やかな笑みをたたえたまま、まっすぐ俺の視線を受け止めて口を開いた。


「よく言うでしょう。目は口ほどにものを言うと。目だけはどうあがいてもごまかせないの」

 だから目から読み取った。ただそれだけのことです。

 そう言って、少しだけ口元をゆがめた。

 たったそれだけのことに、頭がかっとなった。


「テメェ……!!俺を馬鹿にしてんのか!!?あぁ!?」

「………きゃぁあッ!」

 一瞬ののちには、小柄な女に詰め寄っていた。

 名前を呼ぶ気など毛頭ないが、形容する言葉すら嫌悪した。

 女官が悲鳴をあげても、まったくもってそれは別世界のことだった。




 あのとき止められていなければ。


 俺はあの女を殺していたかもしれないと、今でも不意に思うほどに。



「お止めなさい、黒鋼」


 穏やかに、それでもわずかに険を含んだ主の制止。…怒っている、と長い付き合いはそこまで悟らせる。

 ふ、と力を抜いて距離を取ると、蘇摩が真っ先に女に寄った。

 姫はといえば、責めるような目で俺を見る。……別にわざとじゃねぇっての。

 女の顔はここからは蘇摩に隠れてよく見えない。

 けれど、漏れ聞こえる会話の端々からみるに、声の震えも感じられない。気丈な女だと、ある意味感心する。



 その場に居づらくなってさっさと退散しようと踵を返す、と同時に背後から声がかかった。




「―――わたしを監視するのではなかったのですか、黒鋼」


 凛、とした声。

 誰のものかなんて振り向くまでもない。







「…………良い度胸だ………後悔するなよ、俺は妥協はしねぇ」


 最後の警告のつもりで言った。


 女はまた笑った。


「それは気が合いそうですね。わたしも、手を抜くということが嫌いなんです」



















 それから数日、女は客間にとどまった。

 結わえていた髪は下ろすと背中までしかなかった。

 着物は毎日、姫自らと蘇摩で着付けていた。何枚も重ねず、あっさりと動きやすい格好を好んでいた。

 日がな一日ずっと姫と過ごすことが多く、話の内容までは聞こえずとも軽やかな笑いが時折上がっている。

 初めは俺と同じように疑心を抱えていた蘇摩も、時が経つにつれ女と親しげだ。

 なんだ。

 なんだんだ。


「………これじゃあ毎日見張ってる俺ひとりが変な奴みたいじゃねぇか……」


 ここまできたら残されるは意地しかない。

 半ば惰性で、それからも見張りを続けていた。



 毎日毎日見張っていると、ふと気付いたことがあった。

 女は必ず、髪を結わえるときには同じかんざしを使う。

 姫によって違う結わえ方をされたときには、髪をまとめていたかんざしを必ず帯に差した。

 異国からの持ち物であろう、金色に藤色の透き通った石のついたかんざし。

 褐色の髪に良く似合うそれを、女は常に身に着けていた。






 それからさらに数日。


 女に琴を教えていた姫が、こちらを見上げて手招きした。


「―――なんだ」

 憮然とした表情そのままに訊ねると、女がこちらに向いた。

 初めて会ったときのような笑みはそこにはなく、真剣な目つきで女がこちらを射抜く。


 そしてそんな口から出てきたのは、思いもよらないひとことだった。



「――――わたしの名前を、呼んでいただけませんか?」


「はぁ?」

 思わず即行で聞き返し。


 隣では姫がくすくすと笑う。

「黒鋼、さまはあなたに名前を呼んでほしいのです。名を呼び合うことは、友への第一歩と申しますでしょう?」

 イヤ聞いたことねぇ。

 そう言いかけて、そういえばこいつは俺の主だったと踏みとどまる。逆らったら何をされるかわからない。

「呼んで差し上げたらどうです、黒鋼」

 見れば、蘇摩もこくこく頷きながらこっちを見てくる。




「わたしはこの国のものではない。次はいつ来れるかわからぬ身だからこそ、友人となってほしいのです」

 はにかんだような、気恥ずかしそうな顔で、そうっと手を差し出された。

 ………これはつまり、握り返せってことか。


 おそるおそる手を出し、体格に似合う小さな手を包み込む。


「………姫の命令だ。仕方ねぇから呼んでやる、……


 ぱっと華やいだ顔が、今まで見たどの顔よりも印象に残った。




 ………のちのち、この時のことを振り返って姫と蘇摩にそろって笑われることになるとは思わなかったが。

「まるで赤子を抱くようにおぼつかぬ優しい手つきでしたよ」

 とかなんとかいって。ちくしょう慣れてねぇんだよ!!








 それからのち、は監視役の俺をしょっちゅう呼んでは琴を弾いて聴かせるようになった。

 遊びごとには興じないと何度言っても聞きやしない。

 姫曰く、「彼女はわたくしよりも頑固なところがありますから」だそうだ。

 お陰で琴の音に関しては、や姫の音色ぐらいはすぐ聴き分けがつくようになってしまった。

 時には姫より近くにいる俺を呼んでは、庭に植わっている木々の名を訊ねてくる。

 晴れた夜には、決まって縁側で空を見上げていた。

 時にはそのまま縁側で寝ている姿を度々発見したほどだ。



 それを見ていた姫からは、「ずいぶん穏やかな顔になっていますね」と言われてしまった。

 最早否定する気にもならなかった。自分でもなんとなく感じていた。

 はじめあんなに牙を剥いていた頃からは想像もつかないほど、自分の領域に入れていた。というか、入り込まれていた。

 この小さな客人にはどんな剣も弓も向かない。














 季節が変わろうかという頃だった。





「そろそろ、お暇しなければならなくなっちゃったみたい」

 すっかり俺に対しての敬語が抜けたが、苦笑混じりに告げてきたのは。









「………そうですか、もうそんな時期になったんですね…」

 の発言に目を見開く蘇摩に対して、姫はしみじみとするだけだった。

 こうなることが、初めからわかっていたような表情。

 知ってたのか―――訊きかけて、そこで思い出す。

 ここまで時を共に過ごし、いつの間にか曖昧になっていた―――隣にしん、と佇むこの女は、異国の者なのだ。


 この国に住まうべき者では、ない。


「…でもここでは、思いのほか長くとどまることが出来ました。きっと、……干渉が少なかったからね」

 の言葉に、姫が柔らかく口角を上げる。

 言っていることの意味はまったくもって見当がつかない。

 わかろうと思うつもりもない。

 ただ、が帯に差したかんざしをきゅっと握り締める横顔が目に染みた。

 こいつはこんな顔をする女だっただろうか。

 琴を弾く姿、庭を回る姿、難しいと言いながら書物を広げる姿。

 どの姿にも、今のような、泣くのを我慢しているような顔はなかった気がする。











 その後、夕刻が近くなり影が濃くなった中庭で、はひとり突っ立っていた。

 第一印象最悪だった黒鋼と和解することができたおかげで、ここを離れるのが心底惜しかったのだ。

 ここにはもう居心地の悪い場所も、敵対心を露わにしてくる輩もいない。





 ――――長く、居すぎたのかもしれない。


 未練がましい想いなど、抱かぬにこしたことはないのに。


 今まで別れに、涙など見せたことなんてなかったのに。






「……………帰りたく、ないなぁ……」

 まいっちゃうよ、本当。


 せっかく空を見上げたのに、涙は一筋こぼれてしまった。





















 陽がすっかり落ちた時刻、夕餉に姿を見せないのだと言われて客人の部屋へ向かった黒鋼が見たもの。



 綺麗に整頓された部屋。

 文机に小さな硯と小筆。巻かれた紙。

 三つにたたまれた布団と、隣に小さな枕。




 そして、―――――彼女が常に身に着けていた、金色のかんざし。








 足音構わず知世の部屋に乗り込むと、姫巫女は寂しそうな顔をした。

「……………行ってしまわれたのですね」

「どういうことだ!今朝はいたじゃねぇか、誰も知らないうちに発てることなんざあるか!」

 まくしたてる黒鋼を、蘇摩が鋭く諌めた。

 説明してもらおうかとどっかと座り込んだ黒鋼の持つ光り物が、ろうそくの灯できらりと照った。

「それは……さまが身に着けていらしたかんざしですわね」

「綺麗に整頓された部屋の真ん中に置かれてたんだよ」

 なんなんだ一体、とぼやく家臣にふふ、と笑って。




「ならば、あの方はまたここに来られるのでしょう」

 それまでわたくしが預かります。そう言って、知世は自らの手中にかんざしを取った。


 それから静々と、語りだす。

 の正体を。ここにどうやって来たかを。


 そして、かんざしを置いていった意味を。

































 その数年後。

 黒鋼はなかなか素敵な性格に成長した姫巫女によって、別次元の日本に飛ばされる羽目になる。


 実はその世界にはかつて季節を共にしたかの客人がいるのだが、黒鋼がそれに気付くことはなかった。












 言葉の通り、世界各地を転々とする旅のなか。

 夜に月を見ながら酒を飲むとき、ふとよみがえるのはあの頃の記憶。


 彼女は自分が旅をしている今にも、あの御殿に来ているかもしれない。

 あれ以来彼女専用となってしまったあの部屋から、あるいは帰ってしまった元の世界から。

 同じ月の夜空を、見上げているのだろうかと。













+++アトガキ+++

 ハイ、ツバサとリンク第三弾。お相手は黒鋼でしたー。

 誰が何と言おうと黒鋼。黒たんったら黒りん。

 時間軸としては、ファイに出会ったあとです。だから部屋に置いていったかんざしというのは、セレス国で買ったもの。

 置いていった意味合いとしては、銀竜を置いていった黒鋼と同じです。またここに帰ってくるよっていう。

 笙悟と会ったころはまだ力の制御が不完全なので突然引っ張られて行って帰ってが基本です。

 このへんになると大体わかるんです、もうすぐ帰らなきゃ帰されるってこと。

 ていうかここまで説明しなきゃいけない小説って………精進します(へたれ

 お付き合いありがとうございました!苦情はなにとぞ!なにとぞメールで……!