わたしの大好きな食べ物のひとつ。
どうしても自分では再現できない、細部にまで染み渡った味。
あぁ…!!久し振りに思い出したら猛烈に食べたくなってきた……!
今宵三日月とともに
その日はちょっと一枚羽織りものが欲しくなる、そんな肌寒く感じてきた夕刻のこと。
四月一日はスーパーの袋を抱えて足早に歩いていた。
「……どうしよう………あと一品なんか欲しいけど……でも早く仕度しないと侑子さん怖いし…………」
ぶつぶつと口からこぼれてしまっているひとり言を聴く限り、とても年頃の男子高校生とは思えない内容だ。
むしろどこぞの主夫か家政夫か。そっちのほうが立場的に近い気がしなくもない。
本日はあいにくの臨時委員会。
臨時ということはつまり、バイト先の店主には知らせていないということ。
すぐに済めばそれはそれで良かったのだが、意外にもずいぶん長引いてしまったのだ。
そんなこんなで、慌ててスーパーに行っても良い肉はなし。
仕方ないのですき焼きは諦めて、旬だからと秋刀魚を買っていそいそとバイト先へ向かっている最中なのだ。
普通は秋刀魚に大根おろしにかぼすやポン酢、そしてほかほかの白ご飯があればそれで良さそうなものだ。
が。そこはなかなか凝り性というべきか、栄養を考える四月一日君尋まだ現役高校生。
野菜がないと思い当たり、そこから悶々と考えるに至っているのだ。
そのせいかどうかは定かでないが、背後の気配にまったく気づいていなかった。
「おひたしでもつけるか…それとも具沢山の味噌汁にするか……うーん」
「じゃあその秋刀魚は明日に回してわたしと一緒にもう一度買い物に行かない?」
「えぇ?魚は鮮度が命なんですよー…………って、うわ!!」
ずざざと靴を滑らせて十分に距離をとったあと振り返った先には、ここ数日でよく見知った。
「…………ひどいなぁ四月一日君。わたしのこと何だと思ってるの?」
口調は寂しげだがその双眸が静かに怒っている。唇は笑みの形になっているのに眉がちょっと上がっている。
「…す、すいませんさん………」
初対面のときはもっとしとやかで優しい人だと思っていたが、どうしたって魔女は魔女。
魔女というものはえてして、素顔や裏を隠し繕うのが上手いものだ。
この人もただ優しいだけの人じゃないと改めて心に刻み込んで、四月一日は店主の友人へ向き直った。
。
一見どこかしら抜けたお嬢様のような出で立ちを繕う、その実確かに世間ずれした生業を持つティールームの女主人。
「次元の魔女」壱原侑子と対等に渡り合える魔力を持ち、それを自身の手のひらで操る術を知る生粋の魔女。
自身を媒介としてモノを異界へ渡す術を知り、侑子の店に願うモノなく足を踏み入れる力を持つ。
そんな彼女はかのクロウ・リードから「戯れの魔女」なるありがたくもスパイスの効いたジョークまじりのあだ名を頂戴している。
自身はその名をかなり鬱陶しく思っているのだが、クロウのせいかその名は全世界に広がりつつあり、もはや収拾がつかない。
ひょんなことからその名に助けられることもあったので、今はその名前も容認するようになった。諦めたともいう。
しかし、そのあだ名を知らない者には未だ徹底的に隠そうとする。
もうこうなったら、死んでしまった者を相手に意地である。あほくさいが本人は至って真剣そのものだ。
そのが現れた。しかも自分の目の前に。
ということは、十中八九ウチの店に用があるのだ。
「よくわかってるじゃない、四月一日君。でもちょっと違うかなぁ」
「ひとの心を読まないで下さい!!」
「顔に書いてあったんだもの。わかりやすいって言われない、四月一日君?」
そういえば言われるような気がする、とそこまで考えてから頭をぶんぶん振った。
彼にとってはイヤな顔を思い出したらしい。
「それで、ちょっと違うって何ですか?」
訊けば、行く前に寄りたいところがあるのだという。
「今日は作らずに、買って行こうと思ったの」
「そんな、手ぶらで全然構わないと思うんですけど。それにもう、ホラ秋刀魚買っちゃいましたし」
示すようにスーパーの袋をがさりと持ち上げると、それも良いんだけど、とは言ってから。
「でもたぶん、侑子ちゃんもそろそろ恋しくなる頃だろうなと思って」
あれも一応1日ぐらいはもつから、別に秋刀魚でもどっちでも大丈夫だし。
「あれって何ですか?何処か惣菜屋みたいなとこ、このへんありましたっけ?」
ついでとばかりに言ってみると、四月一日とが出会ったのは住宅地ど真ん中。
コンビニはあるがスーパーはない。
きょろりと見回してみてもやはり、めぼしいものはない。
改めてを見ると、ふふ、と企むような笑みを浮かべている。
「こういうところにこそ、出てきてくれるんだよ」
まぁもうちょっと待ってみようよ、とわけのわからない提案をされ、同じくわけのわからないままに頷いた。
5分後。
「……………こういうことだったんですね…………」
「うん。もう今日唐突に思い出して、そしたら食べたくて食べたくて仕方なくなっちゃって」
にこにこ笑顔のが見つめるその視線の先にあるもの。
おでん。
あの狐親子が営むおでん屋の狭い屋台の中、はどれにしようかなと言いながら嬉々としてあれこれ指差している。
そして主人が慣れた手つきで容器におでんを入れていく。時折軽く笑いが上がる。
このようすを見れば一目瞭然である。
「…さんもこの店知ってたんですか」
「当たり前でしょう。きつねのおでんは美味しいので評判が高いの。誰にも味は真似できないのよ。ね、ご主人」
「いやぁ、さんにそんなこと言ってもらえると照れますねぇ」
あははと笑いつつ耳をかく主人と、傍らで同じく笑う息子。
そして、やーだまたご主人ったらとおばさんくさい仕草が止まらない。
一体このひとはどこまで人脈(ひとじゃないのもいるが)が広いのだろうと、浮かんだ疑問に頭をもたげる四月一日であった。
結局てんこ盛りのおでんを買ったは、御代にと財布の中から三日月の形をした、繊細な細工が施してある木櫛を出した。
「こんな貴重なものを……頂いても…?」
「良いの。いっぱい頂いたから、御代です」
そうですか、それならば。
しばらく考えてからそう言って、狐の主人は深く深く頭を下げた。
「いつもいつも、ありがとうございます」
「いいえ。こちらこそ、いつも美味しいおでんをありがとうございます」
それから息子には青色の風車を渡し、またねと笑ってその場を離れた。
一瞬ののち、やはりおでん屋は姿も匂いもなくなっていた。
「…さて」
くるりと一点を向いて、魔女は朗らかに歩き出した。
「学校が遅くなっちゃっただけの得はあるでしょう?じゃあ行きましょうか」
なんで知ってるんだろうまたこのひとおれの心読んだのかな。
考えても埒が明かないことをぐるぐるめぐらせつつ、四月一日もに歩を合わせたのだった。
ふたりそろってこんにちはーと挨拶するやいなや、ばびゅんと飛び出してきた侑子の第一声。
「きつねのおでん!!」
きらきらと目を輝かせて包みを開けにかかる魔女ふたりを横目に、四月一日は秋刀魚を冷凍庫に入れたのだった。
「あ!でもおでんだけなんて言わないで下さいよ!ちゃんとご飯も食べて下さいね」
「「はーい、わかりましたー」」
ぴったり綺麗にハモる女ふたりの声が、広い部屋に軽やかに響いた。
ご飯とデザートを作りに台所へ消えた四月一日を尻目に、魔女ふたりは待ちきれずにおでんをちょこちょこ摘む。
「んーvvやっぱりこの味よね!一片残さず染み渡ったあったかい味!」
「やっぱり大根が一番美味しいわよねー、その次は蛸!」
「えぇ?ったら。練り物が一番美味しいわよ」
「やだなぁ侑子ちゃん。おでんの何たるかをわかってないわね」
やんややんやと摘むうち、一先ずと酒を持って四月一日が再び現れる。
「今日は文蔵にしてみたんですけどどうですかってもう食ってるし!!」
「文蔵?良いわねぇ。酒呑めないのに四月一日ってばセレクトが良いー」
「ありがとう四月一日君。さぁさぁ侑子ちゃん、どうぞどうぞ」
四月一日からひょいと一升瓶を取り上げて、は手際良くとくとくと注いでゆく。
青から透明へのグラデーションに、泡を閉じ込めたグラスは酒を美しく見せた。
もー、とぶつぶつぼやきながらまた四月一日が部屋を出て行ったのを見計らって、ふたつのグラスが目線の高さまで掲げられた。
グラスの前にかち合う視線に、互いの双眸がゆるりと細められる。
「何に乾杯しよう?」
「そりゃあもちろん」
「私たちがこうして出会えたことに」
かちん、と軽やかな響きが鳴った。
いつものようなどんちゃん騒ぎのあと、寝入ってしまった四月一日に毛布をかけて、はそろりと縁側に出た。
その手には徳利とお猪口ふたつ。
先に出て涼んでいた侑子の隣に、すとんと腰掛ける。
「あら、が自分で日本酒入れるなんて珍しいわね」
「ウイスキーよりもここは焼酎かなぁと思いまして」
綺麗な空が見えてるしね。
またとくとくとお猪口に焼酎を注ぎ、ふたたびかちりと鳴らす。
「………珍しく澄んだ空ね」
「そうね……清らかな空気ね」
だからかしら、とっても月が綺麗に見えるわ。
そう小さくこぼしたに、侑子はふふ、と笑って空を見上げた。
透き通ったガラスのお猪口。
その向こうに、ゆらりと三日月がきらめいていた。
+++アトガキ+++
やはりここは原点に立ち返って、「書きたいものを書く」ということを行動に移してみました。
カプもテーマもない、ただただ赴くままに。たまにはこんなのも、ね。ね?