「今日和ー!」
朗らかなその声の主は、母のような慈愛をもったひと。
戯れの魔女〜パンプキンパイは危険な香り〜
迎えに出たマルとモロが両手にいっぱいの紙袋を携えて戻ってきたのを見て、
「相変わらず侑子ちゃんの家は広いねぇ」
わたしのところも改築しようかしら、などと独り言をこぼす彼女の両手も同じような状態なのを見て、
「………どうやって持ってきたんすか」
と訊いたおれに罪はないはずだ。
「イリュちゃんとジョンに手伝ってもらったの」
……………初めて会ってからおよそ2週間、名前はやっぱり前のままらしい。
。年齢不詳の、ティールーム「ROLL」マスター。
侑子さんとは旧知の間柄っぽい、ってことしか知らないけれど、とにかく雰囲気が優しい人だ。
この前それを侑子さんに言ったら
「それは四月一日がその裏を知らないからよ」
なんて意味深な言葉を返されたけど。
そんな彼女をいつものように尊大な態度で出迎えた侑子さんは、おれに紙袋を手渡した。
何の気なしに見て、はたと思い当たる。
「企業秘密」
―――あのときの紙袋だ。
「もう四月一日が開けても大丈夫な頃合だから」
侑子さんの言葉に、そういえばそうだねと頷くさん。
「何が入ってるんすか?」
おれの問いかけに対する、さんの返答は簡潔だった。
「紅茶よ」
「紅茶ぁ?」
「ええ、紅茶」
にこにこと笑って反復するさんにそれ以上の説明をする気はないらしく、今度は侑子さんを見ると
「ええ、紅茶よ」
同じことを言われた。
「…おれに説明してくれる気はないんですね……」
「わけのわからないものには近寄らないのが安全よ。ホラホラ、早く淹れてきて。お菓子が冷えちゃう」
「はいはいわかりましたよ………って、お菓子?」
どこにそんなものがあるのかと含めて訊くと、さんが大量の紙袋からひとつ持ち上げる。
「朝からお店のオーブンとか全部フル稼働させて作ってきたの」
やりました、わたし!みたいな清々しい笑顔のさんに圧巻。
しかしまぁ、ざっと見てもケーキが軽く20ホールは入ってそうな紙袋の量にも圧巻。
………ちゃんと保存きくんだろうな、コレ………。
四月一日君がキッチンに消えたのを見て、侑子ちゃんがくすくすと笑い出す。
「なぁに侑子ちゃん、わたしがそんなに面白い?」
「あんまりにも性格変わらないんだもの。天晴れで笑っちゃうわ」
「今は喫茶店の店主ですよー」
「ふふ。…それ、クロウが知ったら何て言うかしらね?」
「さぁ…でも、クロウはわかってたんじゃないかしら。わたしが近いうちに身を引くことを」
そう言うと、侑子ちゃんはそうねぇ、と言いながら紙袋を物色する。
「そういえばクロウ、言ってたわよ」
「何を?」
変わらず物色の体勢のまま、さらりと。
「戯れの魔女だけは、どうやってもわからない存在だって」
一瞬。一瞬だけ、身体が硬直した。
「…………難しく考えすぎなのよ、クロウは。わたしはただの落ち零れ」
ふう、とため息をひとつ。
それから顔を上げた侑子ちゃんは、魔女の顔をしていた。
「自らの存在を自在に操り、世界の混乱と安寧を司るんじゃないかとまで言われた魔女が、……落ち零れ?」
「……………………」
苦笑で誤魔化せる相手ではないことぐらいわかっていたけれど。
幼いときから、魔力はあった。生まれついて。
猫と話せたり、天気を予報よりも正確に当てたり、ときには行方不明者の居場所すら見えてしまうこともあった。
それらの行為が異常に映るのだと理解したのは5歳のとき。
以降、誰にも何も言わない大人しい子になった。
そんなときでも、やっぱり第6感というものは働いてしまうもの。
『言いたいことが言えたらいいのに』
いつしかそう願ったとき、何かに急速に引っ張られていく感触があった。
足掻くことも出来ずに、為されるまま引っ張られて。
気付けば熱帯ジャングルのど真ん中。(もうちょっとましなところはなかったのかしら…)
やっぱり独りぼっちは寂しくて、還りたいと零れそうな涙を押し込み目をぎゅっと瞑った次の瞬間には自宅の部屋。
はっきり言って、何が起こったのかまったくわからなかった。
それが初めて、自らを異次元へ飛ばした瞬間。
「強く願えば叶うものだとわかってからは、良く使ってたなぁ…」
遠い目をしたわたしに呆気にとられたような顔をして、侑子ちゃんが口を開く。
「頻繁に使えるものじゃないこと知らなかったんでしょう?」
「ええ。……まさかそのうち、それがもとであの呼び名をつけられることになるなんて思わなかったわ」
「世界を自在に往来する娘。まるで遊戯のように街を舞い遊び、悪戯だったように突如消える」
「これを魔女と呼ばずしてなんと呼ぶか、ってね」
初めてクロウに会ったときのことを思い出し、たまらず苦笑する。
そのとき高らかに呼ばれた名が、「戯れの魔女」だった。
そんな大層な名前をもらうほどではないとあれ以降何度も言ったのに、
「もう全ての世界に知れ渡ってしまっているから」
と、あの笑みに圧されてしまった。
わたしがそれまでに訪れた国のなかには、中世ヨーロッパのように魔女を忌み嫌うところもあった。
すんなり受け入れてくれたところもあるけれど、そうでないところでは当然の如く抗争が起こった。
……………それがもとで、今も戦争が絶えないところもあると。風の噂に聞く。
「だから余りある力をコントロールするためにあの2人を創って奥に引っ込んだ」
「まったくもってその通りよ」
イリュとジョンには、それぞれわたしの力を必要以上に注ぎ込んである。
わたしの力を制御するためであり、この街にふらついてくるアヤカシの類を引き寄せないためといってもいい。
あんな奥地に住まうのも、ああいった雑念の少ないところならば周りに与える影響が少ないから。
街の活気は好きだけれど、住まいを構えるには合わない。
つい先日、久し振りに力を使った。
異界からの客だと知っているお店のおば様からは「久し振りだねぇ!」と肩を叩かれた。
懐かしくもあり、立ち去る寂しさもあり。
侑子ちゃんからの頼まれ物だったから、世間話もしつつさっさと立ち去ろうとは思っていたのだけれど。
茶葉に掛けられた追尾のまじないに気付いたのは、還ってきてからだった。
………いつ掛けたのか知らないけれど、この程度に気付かないなんてわたしも随分落ちぶれたものだと落胆した。
紙袋を開けた時点でまじないは完了してしまう。
何処の誰でも、平穏の国日本を混乱させることはしてはならない。…わたしが言えた義理ではないけれど。
侑子ちゃんならどうにかしてくれるだろう。
そう思って、開けてはならないと忠告して彼に渡しておいた。
企業秘密と隠したのは、変な不安は与えないことに越したことはないから。
「お茶入りましたよー!あとケーキ用のナイフとフォークと皿も持ってきましたー」
「ありがとう四月一日君!気配りもばっちりねー」
「四月一日ー、ティーカップはジノリ使ってくれてるー?」
「使ってますよー!ていうかジノリしか棚に出てないじゃないっすか!」
「あははははそうだっけー?」
からりと襖を開けると、そこには変わらず和やかなふたりの姿。
かちゃりとカップをテーブルに置くと、モコナが見計らったようにサッとホールケーキを出してきた。
「モコナコレが良い!良いよね、侑子?」
「きゃぁ!のパンプキンパイ久し振りだわー、それにしましょう今日のお茶請け!」
はいはいわかりましたよーと4つ切り分けて、それぞれの皿にのせて手渡す。
んー美味しいッ!と舌鼓を打ったところで、侑子さんが不意に
「あ、四月一日は食べないほうがいいかもね」
なんて言うから、思わずフォークの手が止まった。
「…なんか食えないモンでも入ってるんですか?」
「ううん、食べれないモノは何も入ってないの」
「じゃあ大丈夫じゃないっすか」
そう言って、「あ、でも――」と止めかけたさんを聞かなかったのが不覚だったとしか、言いようがない。
「………………………!!!!」
「これ、お酒好きな侑子ちゃんのために作ったパイだから……糖分は殆ど入ってない代わりにウォッカがどぼどぼと…」
ごめんね言うの忘れてた、というさんは、作った本人だからか平然とパイを口にするけれど。
……………一口で二日酔い出来るこの強さは何だよオイ……!!!
「四月一日もキャベジンの仲間入りねー」
「侑子ちゃんてばあんなもの飲んでるの?」
「ほど強くないもんですから」
「は侑子よりもお酒イケる口なんだー!!」
出来上がり気味のモコナの声が、やけに遠く聞こえたのも仕方ないことだと、思う。
++アトガキ++
続く予定がなかった夢を再び。
パンプキンパイについては聞かないで下さい…