久し振りに感じた、清浄な気配。
一見するとクールなその少年は、実はなかなかマイペースな性格をしていた。
戯れの魔女〜銀座ショッピング篇〜
それは、店に新しくカップ&ソーサーセットを仕入れようと外に出て、銀座まで出向かう途中のことだった。
「………………ん?」
ふと、何かに引っ張られる感覚。引っ張っているといっても、決して悪いモノではない、寧ろ清浄な気配。
珍しい、と目を細めて、ふと考えをめぐらせる。
こんなに穢れてしまった世界において、ここまで清んだ気を保っていられるのは―――……。
――神社、あるいは寺の神仏から加護を受けているモノ。
どうせそんなに急ぐ用事でもない。
「それに――…ちょっと気になるし、ね」
ひとりごとを小さく呟いてからくるりと気配の方へ足を向け、足取り軽やかに歩き出した。
「………?」
くん、と服の裾を引っ張られる感触。
思わず下を見るが、引っ張られる位置には何も無い。
アヤカシとやらの仕業かと思ったが、視える人間がいないので何とも言いようがない。
いつもなら放っといてさっさと帰ってしまうのだが、この時は何故か歩く向きを変えた。
「……まぁ別に急ぐ用事もねぇし」
無意味にひとり言を呟いて、来た道を引き返した。
「―――君だったんだね」
唐突にかけられた声に、百目鬼は思わず俯いていた顔を上げた。
――上げたが、目標は小さかったのでまた少し視線を下げた。
鋭い目つきでもって、まじまじと目の前の女性を観察する。
引っ張られた気配は、間違いなく彼女のものだろう。
「……………人間、だな」
大層失礼なことをのたまったのだが、彼は怒られるどころかくすくすと笑われた。
百目鬼の視線にも怯むようすがなかったところからして、そんじょそこらの姉ちゃんではない。
「見えないけど感じるんでしょう?わたし、アヤカシに思える?」
そう訊かれ、即座に首を横に振った。
にっこりと笑って自らを指差したこの女性が、アヤカシだとは思えなかった。
アヤカシが皮を被っていることも多少考えはしたが、恐らく考えるだけ無駄だろう。
目の前に佇む妙齢の女性は、むしろそれらとは対極の位置にいるような感じを受ける。
それを素直に言うと、彼女はふわりと笑って頷いた。
「そうね…正解ではないけれど。当たらずも遠からず、っていうやつかな?」
す、と右手を差し出して、彼女はまたにっこりと笑んだ。
「初めまして。わたしは。っていうの。よろしくね」
「……百目鬼静です。よろしく」
ゆっくりと、それでもためらいなく握り返された手に、は満足そうに頷いた。
「ところで百目鬼君、初めましての人に向かって申し訳ないんだけど」
「なんですか?」
「今日、これから時間ある?」
その時の双眸はキラリと光っていたとかいないとか。
「…………銀座、ですか」
「そうなの。わたし街は好きなんだけど、どうしても落ち着かなくてねー」
「……はぁ……」
あの後頷いた百目鬼の腕を軽やかに取って、「じゃあ行きましょう!」と高らかに言い放ったは。
「やっぱり清浄な気の隣にいたら、煩雑とした街もだいぶ良いものになるわねー」
「…………………」
百目鬼を引っ張って本当に銀座まで来ていた。もちろん百目鬼の交通費は持ちである。
「そもそも今日の目的はね、お店で使うティーカップを仕入れようと思って銀座まで来ることだったの」
「店…?店やってるんですか、さん」
「ええ。住宅街をさらに奥まで行ったところにあるの。儲けより娯楽よ」
きっぱりと言い切っただったが、別に儲けがないわけではない。
喫茶店と銘うってはいるものの、現代にはインターネットというものがあるのだ。
ネット通販で茶葉を100g単位で売ることが、最近のの収入源のひとつとなっている。
「何ていう名前のところですか?」
「お店の名前?ROLLっていうの。循環・巡回することがこの世界の基本でしょう?そこに由来するの」
そう言うと、百目鬼はしばし黙考したのち、口を開いた。
「…世界の基本、……。……もしかして侑子さんの知り合いですか?」
「………………」
「…………」
「……………」
「……あの?」
「え?あ、あぁ……うん、そうだよ。侑子ちゃんはわたしの友人」
だいぶ呆気に取られたのち、ようやく答えはしたものの。
――この子、気が研ぎ澄まされてる分言葉にも鋭いのね………言葉遣いには気をつけなきゃ。
ふう。わざとらしく汗を拭ったを、百目鬼が頭に「?」を浮かべて見ていた。
「ううん、何でもないの。それじゃ、しばしお付き合いしてもらってもいいかな?」
「別に構いませんけどこんなところまで出てきて手ぶらで帰るわけにはいかないです」
「………………プランタン銀座の新作スイーツと文明堂のカステラでどう?」
「乗りました」
これでティーカップ何セット分飛ぶことになるのかしら………。
財布の中身を思い出しつつ、影でこっそり涙を拭いただった。
「…………ふっ」
「…………………」
「…ふっ…ふっふふふ」
「怪しいですよ侑子さん」
半目でジト目で見られていても、侑子は一向に怪しげな笑いを止めない。
というか、止めようと思っていても止められないのだろうが。
「あー楽しいわねー。今ごろは銀座でスイーツ三昧かしら」
「は?誰のことすか?」
「と百目鬼君」
「………誰と?誰って?」
「と、百目鬼君」
間。
「おれだって…!!おれだってさんと銀座でスイーツ三昧してぇ………!!!」
なんでアイツだけ良い思いをと握りこぶしを作って嘆く四月一日に、侑子がけらけらと笑いながら追い討ち。
「ああ、因みに百目鬼君引っ張ってったのはだから」
わざわざ庭まで出て行って「の」の字を書いた四月一日であった。
「ヘタレねぇ、四月一日ってば」
『ヘタレー、ヘタレーvv』
マルとモロがピッタリ綺麗にハモった。
「……っくしゅん!!」
「風邪ですか?」
「あー…違うと思うわ。たぶん、ううんきっと」
侑子ちゃんとか侑子ちゃんとか侑子ちゃんあたりが噂してるんだ。絶対そうだ。
そう思ったことは心の中だけに留めておいて、は隣のノッポをひょいと見上げた。
「ありがとう、百目鬼君。買い物付き合ってくれて」
「良いですよ。…けど、ひとりで来てもこんなに買う気だったんですか?」
「うん?そうだよ」
あっさりと言い切ったの左手には、5個の紙袋。
それを聞いて結構な呆れ顔の百目鬼の両手にも、5個ずつの紙袋。
結局、は銀座をあちこち隅から隅まで回って、新作のティーセットを物色していた。
そしてポンポンと諭吉を財布から出し、あれやこれやと買っていったのだ。
もちろん、百目鬼へのお礼である新作スイーツも忘れずに。
は普段、邪気に中てられることが嫌であまり繁華街には出てこない。
それが、たまに外に出てくると、ここぞとばかりに買い物をしまくるのだ。THE・大人買い。
「通販だと、手に持ったときの感触がわからないでしょ?だからカップは自分で行って買うの」
あんまり外に出てこないもんだから、たまに出るとついつい買いすぎちゃうのよねー。
くすくす笑ったは、それからふい、と百目鬼のほうを向いた。
「?」
何ですか、と顔に書かれている百目鬼に、思わず正直だなぁと心の中で笑った。
そんなが「あ、そうだ」と百目鬼の方を向いて、ちょこんと頭を下げたのは、買い物を終えた後。
もうそろそろ帰ろうかという時間帯だった。
「………四月一日君のこと、どうかよろしくね」
「…なんで」
「わかるよ、知り合いだってことぐらい。わたしだって、侑子ちゃんのお友達なんだから」
それぐらいお見通し、とにんまり笑う表情は、さっきまでとはまた違った人格のよう。
「…そうですか。けど、アイツはおれを毛嫌いしてるみたいですよ」
「毛嫌い…?あぁ、きっとそれは違うよ。時が来たらわかると思うわ、四月一日君も」
「わかるって、何がですか」
そこまで訊くと、は再び前を向いて苦笑した。
―――いつかは、選ばなきゃいけないから。
「――……?」
選ばなきゃいけない。そう言った時の意味ありげな表情も、また人が変わったようで。
物憂げに笑った横顔が、やけに印象に残った。
ちゃんと足は歩いているのに、まるでそこに止まっているように、彼女の周りは静かだった。
………四月一日君は良いお友達を見つけたね。
物憂げだった横顔が、少し羨望をまじえたものに色を変える。
自分の周りには、侑子が現れるまで誰も理解者がいなかったから。
「自分は霊能力がある」と騒ぎ立てた人は何人もいたけど、誰一人としてホンモノではなかった。
だから、正直に言って四月一日が羨ましいのだ。
たとえ今は嫌いだとしても、選ばなければならない時がきたら。
きっと、嫌でも彼は選択するだろうと確信している。
これは自身の魔力に頼ったものではない、純粋な直感だ。
「今日は付き合ってくれてありがとう、百目鬼君」
「いえ、おれこそ菓子まで奢って貰ってありがとうございました」
「良いのよ、ていうかもともとそのつもりだったし」
「そうだったんですか?」
「ええ。――たぶん、侑子ちゃんが言ったことあるはずよ」
何か欲しいモノを手に入れるためには、それ相応の対価を必要とする、と。
「……そういえば」
「わたしは、君と一緒にいることによって邪気を避けたかったの。その対価が、スイーツってことで」
目に視えるモノと視えないモノとを交換するのは、正式な"契約"の場では良いことではないのだけれど。
それを聞いて何故だと問うた百目鬼に、は「次元が違うから」と答えた。
「ううん、ちょっと違うかな…例えば、空間の位置が違う」
「空間?」
聞き返してきた百目鬼に、うーんと苦笑を返した。
「難しいなぁ…。例えば、気っていうのは普通視るモノじゃなくて感じるモノでしょう?」
「はい」
「で、スイーツっていうのは具体的にカタチを持った、この世界に確立する存在なの」
「つまり…存在する世界が違うと?認識できる世界とそうでない世界と」
「そうだね。そういうことになるかな」
雨童女たち高貴なモノの棲む清き山も、低俗なモノの棲まう地も、ほんの少し位置が違うだけ。
違う空間同士でモノを交換しようとすると、少し誤ればふたつの空間が混ざってしまう。
そうするとどうなるか。
――まず間違いなく、世界の均衡に歪みが起こる。
「その均衡を保つのも壊すのも魔術師。だから、わたしたちには過度なまでの制限がかかってるの」
永き永き年月を経て創り上げられていった、魔術師のための律令。
壊すことは許されない。
「…面倒くさい身分ですね、それは」
「でしょう?だけど、それなりに気に入ってるのよ」
今の身分じゃなかったら、侑子ちゃんにも四月一日君にも君にも会えてないもの。
「こんな素敵な出会いを逃しちゃうなんて、人生の半分を損したようなものだわ」
満面の笑みでもってきっぱりとそう言い切られ、百目鬼は思わず顔を逸らした。
翌日。
「…………楽しそうだな」
「あ?」
「楽しそうだなっつってんだよ!!さんと銀座行ってたって…!!」
「あぁ、ケーキまで奢って貰ったぞ。良い人だな」
「………………………!!!」
本当のことだったなんて――――!!!と、学校中に絶叫する四月一日の声が響き渡った。
「―――ずいぶん昨日はご機嫌だったみたいね、」
「どうして?」
「顔がにやけてる」
ぽむ、とほっぺたに手をやったあと、はむっすりした。
「…………どうして知ってるのかな侑子ちゃん。また遠隔術使ったの?」
「私にはお土産ないの?」
にか、と笑って手を出す侑子に、は眉間にシワを寄せた。
「ないですよーって言いたいけど……うっかり買ってきちゃったんだなコレが」
「さっすが!何買ってきてくれたの?」
「ニューサマーオレンジのタルトと包饅頭。まずはタルトから頂かない?」
「そうしましょう!あ、今四月一日居ないんだわ」
仕方ないから、お茶淹れてきて頂戴。
「…………わたしお客様なのに……」
偉そうにのたまう侑子に、ベーっと舌を出してからてってけと台所に向かった。
それは、小狼たち旅の一行が離れ離れになる少し前の出来事。
運命を知りながら伝える役目にはない魔女たちは、ただ笑みを湛えてたゆたうのみ。
+++アトガキ+++
番外編(?)百目鬼君篇でした〜。
私は結構気に入ってます、彼。
とてもマイペースだと思いませんか?(笑)私だけ?