わたしがこの世界にいる資格を失っても。



 君は絶対に助けます。














































    戯れの魔女:番外篇












































 主人の命令には従うものでしょう?

 そう言って自らの巧断を見事に従わせたのち、は笙悟のもとへ自分を連れて行くよう指示した。

「俺も行く!!」

「駄目」

 1秒たりとも間髪入れずに否定の言葉でもって返された笙悟の友人は、あからさまにうろたえた。

 友人を救いたいというその気持ちは貰っていくよ、と言ってから、はふわりと笑った。

「でも………!!」

「君の気持ちはわからなくもないよ。だけど、君はまだ子供でしょう?」

「ガキだからってナメんじゃねーよ!!」

 かっとなって突っかかってきた少年に、しまった禁句だったかと内心舌を出す。

 しかし、―――真実だ。

 若干自分よりも背が高いらしい少年を牽制させるほど、威嚇を込めた視線で見上げる。

「ナメるナメないの問題じゃない。君は、まだ先のあるその命を危機に晒すべきじゃないって言ってるんだよ」

「っそ、んなの………!」

「幸いわたしの巧断は優秀なようだし、安心して任せてくれないかな?」

 先ほどとはうって変わってころりと表情を変えた目の前の女に、ただただ圧倒されつつ。

 少年はこくりと頷かざるを得なかった。ただ、その瞳に不安を揺らめかせて。




「まだ匂いは残ってる?じゃあ行こうか、笙悟君が待ってる」

 巧断に確認をとってから、軽い身のこなしですとん、とその背に乗る。

 まだ不安そうな少年に大丈夫だよと言いかけて、その瞳に宿る色の違いに気付いた。

 ―――わたしが信じられない、か……。そりゃそうだ。

 自分はそもそも、ここの住人ではない。弾かれて然るべき存在だ。

 だから、試すつもりで告げた。信じてくれるといい、わずかに思って。

「わたしが信じられないなら、わたしの後を追ってくるといいよ」

 はっとして視線を自分に合わせた少年に、やっぱりなと思う反面頭の良さに舌を巻く。

 疑ってかかることを知っている。

「ただし、わたしはそこまで慈悲深いわけじゃない。追うなら自力で追いかけておいで」

 それだけ言って、「行け」と馬のように、巧断の横っ腹を軽く蹴った。



















 巧断の良く利く鼻を使って追跡した結果、場所は特定出来た。

「もう使われてない廃倉庫、か…………ありがちね」

 なんてベタなとこぼしながら、巧断に乗っかったまま上空から中の様子を窺う。

 状況が読めてくるごとに、知らず眉を顰めた。

 笙悟はおそらく真ん中。壁にへたり込んで、その周りを逃げられないように囲まれている。

 へたり込んでいるという表現が正しいだろうと思うのは、笙悟の顔にあざがあったから。

「………まだまだ子供なのに、あんなの喰らっちゃそりゃ痛くて立てないよねぇ………」

 その時点ではそう思っていたのだが、視線を足のほうへ移して、思わず目を見張った。


 ―――力なく投げ出された左足。

 おそらく――……言うまでもない。

「なんてこと………」

 もっと早く行動出来ていたなら、と唇を噛み締める。



 と、そのとき。


「――――笙悟!!」


 声のするほうを見やって、更に目を見張った。

「あの子………!?」

 息を切らしながら倉庫の入口に立っていたのは、まぎれもなくが置き去って来た少年。

 信じられないなら追っておいで、そう言ったのは確かに自分だが。

 ここまでかなりの距離があるのに追いかけてこれたことに感心するより、は自分への疑いが晴れていなかったことに落胆した。

 しかし。

 どうしようというのだろう、あの少年は。

 笙悟を囲む男達は6人。体格も大柄で、喧嘩慣れしていそうな風貌だ。

 しかも特級の巧断を持つ笙悟を負わせるあたり、彼らの巧断も侮れない。

 少年1人でどうにかなるわけでもあるまい、しかも笙悟は手負いの身。

「もうちょっと様子見ようと思ってたんだけど、笙悟君心配だし。そういうわけにもいかないわね」

 ――行くよ、準備は良い?


 主人の声なき声に、巧断は流れるように優雅に頷いた。それを満足そうに見とめてから、再び横っ腹を蹴る。

 これが最後にならなければいい、と思いながら。











「笙悟!!」

「……おま、なんでここに………」

「そんなことどうでもいいだろ、…くそ、やっぱりあの女嘘ついたんだな、俺より早かったくせに…」

「……女……?」

「とにかく逃げよう笙悟!!早く、立てよ!」

 周りをお構いナシで叫んでいた少年は、なかなか立ち上がろうとしない笙悟に焦る。

 やがて、笙悟を囲む1人がニヤつきながら笙悟に近寄る。

「折れてんのに立てるわけねぇよなー、浅黄?」

 途端、ぐっと詰まる笙悟に少年は目を見開いた。

「……………マジかよ、笙悟………」

 良く見れば、顔色が駆けつけたときよりも悪い。

 やたら汗をかいて、極めつけは左足の奇妙な腫れ。

 ざあ、と一陣の風が倉庫を駆け抜けた。




 それは誰の誘いだったのか。


 助けて欲しいなら呼べば良い。

 すぐ近くに助けはいるものだ。





 それは誰の叫びだったのか。


 ―――誰か、誰か来て。

 誰でもいい、助けて………!






「――――呼んだ?」

「っ!?」

 音もなく、倉庫の隅から現れた人影に少年だけでなくその場にいた全員が驚きを隠せなかった。

 倉庫の出入り口は今少年が立っている扉しかない。

 対して、その人物は倉庫を横切った反対の位置にいたのだから。

「お、お前何処から…………!?」

 ニヤついていた男が驚愕の表情になって叫ぶ。どうやら、アタマはこの男で間違いないらしい。


 やがてフェードアウトしてきたのは、小柄な女性。

 ともすれば少女と言っても差し支えがなさそうな、けれど決して少女のものではないオーラを被っている。

 表情はゆるやかに笑みのかたちを作ってはいるものの、目がまったくもって笑っていない。

 何より、彼女の傍らに凛として寄り添う獣が彼女の意志を示していた。

「笙悟君を返してもらいましょうか」

 うっすらと、笙悟が自分の名前を呼ぶのが見えた。



 さっきとは異なる男が余裕を取り戻した表情で笑った。

 女だとナメてかかられるのには慣れている。は眉ひとつ動かさない。

「イヤだ、と言ったら?」



「力ずくで取り返すよ」

 笙悟の目が、丸くなった。普段のを見ていればそういう反応をするだろう。

 それでも何も言わない。



「お前みてぇな柔いのにどうかされるほど、鈍っちゃいねぇよ」

「どうかなぁ。わたしは普段が大人しいからね。怒らせるとどうなるかわからない」



 それに、隣にいる獣を見くびると痛い目をみる。

 初めて会ってからそんなに日数も経っていないが、それでもはこの銀の獣を信頼している。





 す、と1歩が進み出る。

 それと同時に、隣に佇んでいた銀色の獣が姿をかき消した。

「え?」

 男達が素っ頓狂な声を上げる。

 巧断は主人を護ることにかけては主人の命令なしに動けるが、それ以外では主人のそばにぴたりと寄り添うものだ。

 それが突如として消えたということは、まさかこの状況で巧断を内にしまったということかと、男達はせせら笑う。





 そんなわけがない。

 今の自分には笙悟の命がいちばん大切、それだけだ。











「………………壱の陣」




 ぼそりと呟いた刹那、暴風が倉庫内を暴れ狂う。

 台風並だ。もちろん素直に立っていられるわけがない。

 そしてそれがおさまったとき――――憔悴していた笙悟は獣の背に乗せられていた。

「な!!?」

 いきなり自分達の中に入り込んできた獣に男達が驚く間に、が「おいで」と呼び寄せる。

 我に返った男が獣を捕まえようとするも、そのしなやかな肢体はするりと腕を抜けて主人のもとに帰る。


 意識が混濁してはいるものの、それは患部からの熱とショックがあいまったものだろう。

 それでも、病院へ連れて行かなければならないことに変わりはない。

 今の状況では自分は行けそうにない。そして、1人ならこの状況を切り抜けることは可能だ。

 いざというときのためにかばんを持ってきておいて良かったと人知れず安堵した。

 そんなときはない方が良いが。



 つい、と巧断を見ると、するりと擦り寄ってくる。

 意思の疎通が容易く行えるこの獣が相棒で、心底良かったと思う。






「………弐の陣」

 再び似たような暴風が巻き起こり、今度は笙悟ごと獣は消えていた。

「少年、君も帰りなさい。巧断には笙悟君の家に送り届けるよう言ってある」

 笙悟が心配なら、自分の目で笙悟の無事を確かめてきたらいい。

 暗にそう言われたと理解して、ひとつ礼をして、きびすを返して走り去る。













「……こんなことしてタダで帰れると思ってんのかよ、あぁ?」

 今度は此方が怒り心頭の男達に涼しい顔をして向き直ると、さらりと告げた。


「帰るよ」



 そう言うが早いか、一陣のふわりとした風が倉庫を包み込む。

 次の瞬間、はアタマ格の男の隣に擦れ違うように位置していた。


 手には、小さな小瓶。中身は入っていない。


「おやすみ」

 小さく呟いた。





 子守唄はいらない。




 ばたりばたりと、唐突に意識をなくして男達が倒れていく。








 足元の、寝息もたてず意識を沈ませてしまった大の男6人を見て、ふう、と息をつく。一応緊張してはいたらしい。

「……これで一段落、と」

 小瓶を振って、ほっとしたように笑う

 そこに先ほどまでの強張った顔はない。

 これで良い。人を惑わせ、操るのが魔女の性。

 眠らせるなどやり口が甘いと人によっては言うかもしれないが、とりあえず手出しはしないだろう。

 それは、今意識を沈ませているにも関わらず脂汗やら冷や汗をかいて唸っている男達を見ればわかることだ。

「良い夢は見られないけど、睡眠時間だけは確保できるよ」

 それは要するに夢見は悪いのに途中で起きられないということなのだが。






















 その後、巧断をまた呼び寄せて笙悟の自宅まで舞い戻った。

 自力で帰れるものなら帰りたかったが、はっきり言って壱の陣を舞わせた時点で立っているのがやっとだったのだ。

 妙にほやほやしたその雰囲気で忘れがちだが、は魔女の身。

 魔術師には厳しい律令がある。それが、彼女が魔力を大量に消耗することになった。

 魔力とて自分の一部には違いない。体力と似ていて、消耗すれば疲れるのだ。

 そして帰れない理由がもうひとつ。

 何より、は極度の方向音痴だということを忘れてはならない。




 満身創痍を押し隠して帰ってきた笙悟の家で、彼女は笙悟の両親から何度も頭を下げられた。

 よく笙悟を助けてくれた、よく帰ってきてくれたと。

 は静かに頭を横に振る。

 笙悟がさらわれたと必死に訴えるあの少年がいたから、あそこに行けたのだ。

 自分は逃げる手助けをしただけ。

「笙悟君、足大丈夫ですか?」

「ああ。全治1ヶ月だと言ってたが、問題ないと聞いた」

「…そうですか」

 良かった、とは言えなかった。

 ぐらりと視界が歪む。

 だんだんと霞む意識の中で、自分を呼ぶ声が聞こえた。誰のものか、判別がつかない。

 そろそろ、ここで過ごすことそのものに限界が来たらしい。

 そこまで考えが追いついて、は意識を手放した。







 さよならも言えずに離れることだけ、惜しいと思った。






























 それから長い年月が経過して、笙悟は立派な大人になった。

 特級の巧断をもってして、チームを統率する存在になった。

 そのチームの中には、あの時の友人もいた。


 笙悟は、今でも鮮明に憶えていることがある。

 包み込むような笑顔。

 凛とした背中。

 優しいのに、射抜かれそうな双眸。

 父に抱きかかえられたその瞬間、風と共に掻き消えた存在。



「…………さん」

 あのとき怪我を負って意識が混濁していたせいで、笙悟は自分がどうやって助かったのか憶えていない。

 ただ、一緒にいた友人から聞くによると、言葉を話す巧断を従えていたという。

 そして、その巧断は風を操れるのだとも。


 それを聞いてすぐ図書館に向かった笙悟は、そこで思いもよらない事実を知る。


 遥か昔には、巧断は人々と言語をもってしてコミュニケーションを図れていたのだという。

 しかし、それは巧断が魔術師の生み出したものであり、その魔力の名残がその能力を持たせていただけなのだと。

 巧断の中の魔力がなくなると、巧断は言語で人とコミュニケーションを図るという高度なことは出来なくなっていた。

 ゆえに、巧断が話すときがくるとすれば、主人がかつて巧断を生み出した魔術師を超える魔力を持つものだけ。



 それだけでも十分衝撃的なのに、笙悟は続けて手にした文献で更に衝撃を受ける。


 巧断には等級があるが、その時代には今よりも更に細かく分かれていたらしい。

 特級の上に、恒級と名づけられた級があった。

 どの世界を回ろうとも変わらない天地の原則に基づいた、いわば自然の力を有する巧断。

 彼らは目に見えない大気を動かすという大技をやってのける実力の持ち主で、滅多に人に憑くことがない。

 ある巧断は気候を、ある巧断は温度を、ある巧断は力の作用を。

 そしてある巧断は―――――風を。














 あれから何年も経ったが、彼女を1度も見ていない。

 ならば、やはり魔女だったのだろうか。

 人の心をかき乱し、幻だったといわんばかりに不意に消える。


 そんな思いを抱きながら、空を見上げた。





 心地良い風が吹いている。













+++アトガキ+++

 これで後編は終わりです。

 言葉を話す巧断なんてツバサの時代にはいっぱいいるじゃんと思うんですが、そこは目を瞑って下さい(そんな)

 初めはもっと無茶苦茶にさんが極妻みたいなことをしてしまってました…。

 いくらこの頃は若かったからって、彼女は基本的には殺生は嫌いですから。

 お付き合いありがとうございました!苦情はなにとぞメールでお願いします(苦笑)