後片付けよろしくね。
そう言ってあっという間に姿を消した女に、唖然とせずにはいられなかった。
「………なんなんだよあの女……!?」
中立の立場
ひょい、ひょい、ひょい。
軽やかな擬態語までも付きそうな足取りで鮮やかに結界師ふたりを撒き散らし、そのまま墨村家の庭にすとんと着地。
せめて門をくぐってこんか、と言う当主に苦笑で返し、深夜の墨村家の玄関を開ける。
「………で、どうじゃった、アレは」
着替える間もなく応接間に通され、初めてここに来たときのように背筋を伸ばしてきちんと正座する。
この空間はどこかしら、実家に似ていると思っている最中にふと切り出された。
はっきりと言っていいものかどうか。
いくらまだ未熟とはいえきっと彼の自慢の孫。悪い思いはしたくないだろう。
そのわたしの心情を感じたのか、当主はきっぱりと言い切った。
「気にせん。むしろあやつのために、はっきり言ってもらった方が快い」
ならば、と腹を括った。監視の任を受け持っているからには、言葉を選んで慎重に告げねばならない。
「はっきり言って、今の彼らではおとぎ話にも成り得ません。互いの性格からいって、相手に依存し過ぎないであろうことが救いです」
「…む、やはりそんなものか……薄々気づいてはおったが」
はい、とひとつ返事をしてから黙り込む。
その様子をわたしが落ち込んでいると思ったらしい当主が、「気に病むな」と言うので首を横に振った。
「違いますよ。ちょっと、その………考え事をしていたんです」
「ほう」
まだ行動に移すのは、早いと思ったんだけれども。
「………当主、良守殿の成長はやはり早いほうが良いですか?」
「大成するのは早いに越したことはないが、何じゃ?」
まだ今の段階では難しいかもしれませんが、と前置きして切り出した。
「―――――――……わたしに考えがあります」
あれから1週間、あの術師は学校に現れなかった。
「俺らを手伝うとか言っておきながら俺らより先に妖倒してたり、かと思えば来なかったり…なんだよ、あの女?」
「さあ?今になって烏森が怖くなって、逃げ出したとかじゃないの」
時音はあの女をあまり快くは思っていないらしく、つっけんどんに返してきた。…そこまで怒らんでも。
けれど時音の気持ちもわかる。
突然現れて、俺らよりも数段上の実力を持ち、17歳らしからぬ貫禄を備えたあの正体不明ともいえる術師。
それゆえに、俺には彼女が時音の言うように烏森に恐れをなして逃げ出したとは思えない。
いまいち良くわかんねぇなー…なんて考えていたら、ピン、とひとつの気配。
「来たね」
「1、2、……4匹?結構デカそうだな」
「やるしかないでしょ。行くわよ白尾」
時音が先立って、白尾を連れて駆け出した。
「俺らも行くぜ、斑尾」
言うが早いか駆け出していた俺の耳に届いたのは、諾ではなくため息だった。
そして俺は聞き取ってしまった。
『あの子もずいぶん珍しい子だね……』
どういう意味かは、走りつつ訊いても教えてくれなかったが。
到着した先にいたのは、全て形が違う4匹の妖。
1匹は鷲みたいな大型の鳥で、もう1匹は大きな蝶。
地に足を着けているのは、熊ほどあろうかという大きさの獣に、俊足を誇るチーターのような獣。
「こんな違うのばっかが1箇所に集まってるなんて………おかしいわよ何か」
「んなこと言ったって、やるっきゃねーだろ」
「やるっきゃないってアンタね……」
「そうだね、やるしかないね」
「だろー?だからさっさと終わら……………」
―――え?
思わずばばっと飛びのいて、声のした方向を見上げる。
傍に建っていた倉庫の上に、ゆったりと構えた声がまた響く。
「やるしかないんだよ」
「……アンタ………!」
時音が険を含んだ顔を見せる。なんでこんなところに、と如実に物語る表情に、からりと彼女は笑った。
「やるしかないんだよ。よくわかってるじゃない」
「アンタに言われなくても…!」
す、と伸ばされた手に、時音の声が止む。
結界を張るときの、構え。
――ざあっと、真横一直線に引かれた指。
俺と、時音。
羽根を持つ妖と、力と速さを誇る妖の、間に。
凛、と声が鳴る。
「――結!」
「時音!」
叫んだのはどちらが先か。
区切られた結界の向こう。時音の空間には、熊とチーター(と、呼ぶことにした)の妖。
時音の持ち味は精密で正確な結界だ。決してその中に、力強さは含まれない。
時音では、2匹には対抗できない。
「ってめ……!!」
倉庫に駆け上がり、がっしりと胸倉を掴み上げる。
けほ、と苦しそうではあるものの、俺を見上げてくる顔は平然としたままだ。
泰然としている、と言い換えることもできそうなほど、堂々とした態度。
「何が悪いの」
彼女は言った。
「こういう状況になることぐらい、これから先何度だってある。その時、時音ちゃんの隣に必ず君がいるとは限らない」
「…………………」
「個々の弱点を補い合うといえば聞こえは良いけど、わたしから見たら生温いね」
「……けど!」
「葬れなくても動きを止めることぐらい出来ておかないと。でなきゃ、自分が葬られるよ」
「………ぐっ…!」
悔しすぎるぐらいに事実。
「だから、これからは特訓だよ」
「私が飽きるまで」
「君たちを鍛えてあげよう」
力をなくした俺の手をやんわりとどけて、襟元を正す。
そして袂から、ややこしい文様が描かれた札を出して飛ばした。
行き着く先は、時音に張られた結界。
「強化符だよ。結界を強化する」
彼女に重症は与えないよう言いつけてあるよ、と言ってから。
「君にも相手がいるでしょう?」
真正面で構え。逃げようとしたが遅かった。
「結!」
時音よりも、高さのある結界を周りに張られてしまった。
「な……」
驚く暇もなく、いきなり辺りが真っ暗になった。
「わたしの家に伝わってるちょっと特殊な結界でね。"暗界"っていうんだ。名前そのままの意味だね」
外からの全ての光を遮断する特性があるんだ。
ちょっと得意げに聞こえてきた声に、がっくりと項垂れる。
絶対楽しんでる!!
「普段視覚に頼って妖を追ってるでしょう。その癖を直さないとね」
「目を閉じて、耳を澄ませて、気配を聞くの」
そのための暗界だよ。その言葉に、渋々ながら大人しく従って目を閉じた。
羽音がした。
「結!」
音の方向へ向かって結界を作ると、上のほうからけらけらと笑う声が聞こえてきた。
「良守殿、結界が大きすぎる。大きければ良いってもんじゃあないでしょう?それに、捕らえられてない」
「ぐっ…」
「最初だから大いにヒントを与えてるんだよ。妖の姿だって見せてあるでしょう。5感に囚われてちゃ捕まえられないよ」
「君たちは妖の気配を辿るのが上手い。だから、それを活用するんだよ」
そんなこと言われても。
情けない言葉が俺の頭を過ぎった。
相手は獣。今までは大概、良守が始末してきた大型だ。
いきなり暗界だかなんだか知らないけど、真っ暗すぎて何も見えない。全ての光を遮断するっていうのは、嘘じゃないらしい。
…………さて、どうしよう……。
「ねぇ白尾、…白尾?」
「白尾も斑尾も結界の外だよ」
白尾を呼んだら、返ってきたのは女の声だった。
「妖犬の鼻を使われちゃ、すぐ居所バレちゃうからね」
「…くっ…」
っていったっけ、あの術師。頭は悪くない。
「羅剛も瞬尾も…あ、これ時音ちゃんのほうに入ってる妖の名前ね、アナタに葬られるタマじゃない。だから、」
殺すことは考えないほうが良いよ。
「…わかってるわよそれぐらい!」
名前がついてるってことは、きっとこの妖は2匹とも式神だ。
術師の力を注ぎ込まれて生み出されているのだから、術者次第で力加減ぐらいどうにでもなる。
「葬らなくて良いの。囲んでも、きっと不安定だからすぐに破れる」
そうなれば結論はひとつ。
「動きを止めるんだよ。そして地に足を着けた2匹の動きを止めるには―――?」
…………全ての感覚を総動員して、気配を辿る。
1点に気を逸らせ、一瞬でも動きを止められたらその瞬間。
「…………足を固定する」
返事はなかった。
暗界の特色は、もうひとつある。
中のようすは丸見えなのだ。いわゆるミラーガラスのような役割も持ち合わせている。
良守の馬鹿デカい結界には少々呆れたが、時音の頭の回転には口笛でも吹きたい気分だった。
単に勉強の出来る頭じゃない。使い方というものを、よくわかっている。本当の意味で賢い術師だ。
「……良守殿も決して馬鹿なわけじゃあないんだけどねー…」
発想が随分突飛なものだから、それをもう少し落ち着けたらなかなか良い術師になれると思うのだが。
膝を組んだ上に頬杖をついて、小首を傾げてのんびりと観察に決め込んだ。
『……アンタ、監察の家の人間だろう』
不意に斑尾からの言葉。その体勢のまま、は「うん」と言葉だけ頷いた。
『そんな人間が、こんな風に成長を手助けするなんてね………アンタみたいなの、今まで来なかったよ』
「…それはわたしがおかしいって言いたいの、斑尾」
そんなこと言ってるんじゃないさ、と斑尾は前を向いたまま言った。
その視線の先には、悪戦苦闘中の良守の姿。
『珍しい子がいるもんだねぇ、と思ってさ』
ふ、と笑った。
「………時間がないもので」
そのとき、会話に加わらなかった白尾が見たもの。
17歳にあるまじきほどの遠くを見つめる目。
軽さも威厳も感じないかわりに、何を思っているのかもわからない、複雑に渦巻いた表情。
「……………わたしさ」
まるで誰も聞かずとも気に留めない、独り言のように。
「今の本家の当主と手合わせしたときに、彼に瀕死の重傷を負わせたんだ」
初めて対峙したのは、手合わせが許される7歳のとき。
手も足も出なかった。そのとき彼は15歳で、力の差は誰から見ても歴然としていたのだけれど。
負けて床に突っ伏したわたしの耳に届いた声は、あまりにもわたしを傷つけた。
――――分家の人間が本家に勝てるわけないんだよ
確かに彼は本家でわたしは分家で、わたしは彼に負けた。
けれどだから負けるなんて、そんなはずがないんだよ。本家分家に、そもそも差異はないんだ。
実力主義のは、本家と分家の立場が入れ替わることだってある。130年前に、1度入れ替わったことだってある。
そんな世界で生きてきて、まさかそんな言葉を聞くことになるなんて思わなかった。
本家が何だ。分家が何だ。
それが、わたしの負けず嫌いに火をつけた。
「あれからふたりの兄を相手にしてほぼ毎日特訓したよ…遠慮しないでほしいと言ってたから、まさに地獄の特訓だね」
得意じゃなかった結界分野については、特に叩き込まれた。
成人もしてない者が暗界を張るなんてなかなかにキツいことなんだけど、父は言った。
「自分で限界を決めてはいけない。成人という枠に囚われての修行は、何の役にも立ちゃしない」
限界を払え。その一言を信念に、次の手合わせを心待ちにして修行した。
そして、それから実に8年だ。
「あのときわたしを負かした彼の年齢に追いついた、皮肉のきいた年だったよ」
相変わらずわたしを見下すような蔑むような、目は憎らしいままだった。
始めの言葉と同時に突進していって、1分30秒。
あのときのわたしのように、今度は彼が床に突っ伏した。
「外傷はなかったんだけど、少なくとも彼は意識がなかった。2年ぐらいは病院に入ってたんじゃないかな」
彼を担ぎ上げた本家の人間がわたしをきつく睨んできた。わたしは怯まずに睨み返した。
――――分家の人間に負けるなんて、本家も大したことないな
嘲ったら、胸倉を掴んで高々と上げられた。
いい気になるなといわれてその場に放り出された。そのわたしを庇ったのは、他の分家だった。
「……ここからはわかる?」
『―――当主の座を争う、本家と分家の戦いだろ?』
は苦笑した。
「わたしを当主に立てるべきだと分家は団結した。本家は本家で、利権を失いたくないからそれを拒否した」
今はそれどころじゃないけど、あの当時はことあるごとに衝突だった。
その渦から、わたしは逃げたんだ。
「怖かったんだよ。実力主義とはいえ、年端もいかない子供だったわたしを当主に据えようというその行為が」
わたしがちゃんと成人した物事を考えられる大人だったなら受け入れたかもしれない。
でも、わたしはまだ家のことを第一には考えられない。
「だからわたしは、逃げるためにこの任を背負ってここへ来た」
『じゃあ、どうして早く終わらそうとすんのさ』
「時間がないんだってば」
言ったでしょう、今はそれどころじゃないって。
「関西にも烏森と似通った土地は数多い。そういう土地に、最近異変が起きてる」
『……今の烏森のように、かい?』
「そう。今は何とかだけで食い止めてるけど」
『裏会を使えばいいじゃないか』
「今の当主は頭が固い。野蛮だと言ってきかないらしい」
協力という言葉を知らぬと、本家の下っ端が嘆いてるらしいから。
そう言うとは体勢を解いて、くないを手に立ち上がった。
「――――来た」
本来ここを守るべきふたりは現在格闘中。
ならば、招かれざる雑魚ぐらいは片付けておかなければ。
「行ってくるよ。ふたりともそこで、自分の主人を見てて」
戦う者の目をした少女は、トンと地を蹴って駆け出した。
+++アトガキ+++
ヒロインさんの過去プチ暴露!篇でした(何か違う)
彼女は類稀にみるほどの負けず嫌いです。大して実力もない相手から蔑まれるのが大嫌いな人なんですね。
たまに無言実行するので、よく勘違いされるある意味可哀想な子でもあります。