ふ、と不意に浮上した意識にまかせて目を開けると、閉め切られたカーテンの隙間からうっすら光が差し込んでいた。

 重たいまぶたをゆっくり動かして何度か瞬きをした後、しっかり布団の中におさまっているおのれを見遣る。

「…………?」

 昨夜は口笛を吹いて、自分付きの獣を呼んでから記憶がない。

 それでも、思い出せるところまで思い出し、ようやく行き当たった。


「…………灰馬」

『どうでもいいがもう7時だぞ


 運んできてくれたのありがとうと言おうとしたのに、忠実な獣はそれをすべてすっ飛ばして現在の最重要事項を伝えた。





「……いやああああ学校―――――!!!!!!!」




 朝っぱらから元気な絶叫が響いた、とあるマンションの一室。



































     中立の立場


































 本鈴と同時にギリギリセーフで何とか滑り込み、その後は何事もなかったかのように颯爽と校舎に向かう。

 周囲の人間はかなり驚いていたが、それをあえて綺麗に無視しては教室へと向かった。

 驚くのも無理はなかったりする。

 学校での彼女の評価は「優等生」。テストは常にトップクラスである。

 8時には自分の席について、予習復習ばっちり、教師の問いにも打てば必ず響く。時音のようなタイプである。

 家業のせいか飛んでくるものはとりあえず避けてしまうので球技は苦手、走るのは得意。

 たまにサボることもあるが、成績優秀の一言で片付けられてしまう。

 ほとんど猫を標準装備で大人しめに振舞っているので、彼女を知る生徒のほぼ全員が騙されていると言って良い。





(気付かれるのも時間の問題だけどね)





 そう思いつつ、そっと下級生の教室の方向を見遣る。

「…いっそ気付かせてやろうかしら」

 ぼそりとぼやき、その顔には至極楽しそうな笑み。




 。ちなみに烏森学園高等部3年生である。





























 昨夜のことが頭から離れない。

 時音から話は聞いたものの、それでも彼女の行動にいまいち納得がいかない。

 …つーか、俺たちにあんなことさせる目的ってなんだよ。

 あの時音が言うのだから彼女に敵意はないのだろうが。

 自分の式神と戦わせたり、その間には学校に寄ってくる妖を退治したり、それに。


『あんたじゃ敵わない』


 斑尾が珍しく真面目な顔をしてそう言った。

 たった3つしか歳が離れていない術師なのに、あの妖犬はきっぱりと敵わないと明言した。

 力の器は今の俺と同じぐらい。時音より頭が良い。

 こっちは小学生のときから仕事に出てきた。自分で言うのもなんだが、それなりに経験も力もあるほうだと思っていた。

 そんな自分が敵わないなら、


「…………」




 ぽかぽか陽気の昼休みだというのに、さっぱり寝られる心地がしない。

 とりあえず、今夜は早めに来てみようと思った。
























 一方で時音もまた、珍しく授業中に耽っていた。

(あの結界……未成年で張るのは至難の業だって言ってた)

 帰ってから祖母にも聞いてみたが、かえってこちらが聞かれた。

「彼女に暗界が張れたのですか」と。

 要するに、年齢的にも身体的にも、本来ならば似つかわしくないのだろう。

 身体と精神。

 それら両方、特に精神が安定しきっていない思春期の年齢で暗界を張ろうと思えば、相当の無茶ぶりで鍛錬を積まなければならない。

 あるいはもともとそれだけの器があったのかもしれないが、それにしたって。


(自分の今の力を完璧に知ってて、なおかつ支配下に置いてる…)

 としか思えない使い方だった。


 最終的には意識を手放すほど疲労してしまっていたが、恐らく良守が同じことをしようとしても無理だろう。

 ギリギリ出来る範囲を見定めて、力の配分を決して間違わない。

 自分がその時点で持っている力の容量と正しい使い方がわかっていなければ出来ない芸当である。

 良守や自分のように、使い方にも向き不向きがどうしても出てくるものだから。

 おのれを良くわかっている点でも、やはりどうも正守と似ていると思わずにはいられなかった。




















 力の使い方云々で、確かにと正守はよく似ていた。

 実力のほども現時点では同じぐらいで、鍛錬の相手になったこともしばしばある。






 が正守のことをほとんど話さなかったのは、実は任務に対する正守のあの腹黒っぷりのせいだけではない。

 根本が似通っているせいでもあった。同属嫌悪というほどではないが、若干近いものはある。

 力を有していながら決して墨村の当主にはなれない正守。

 幼い頃の蔑視がきっかけで今の強さを手に入れたものの、その結果思わぬ争いに巻き込まれ、そこから逃げた

 2人とも、決して浅くはない挫折や傷を負った影を背負っている。

 時音が似ていると思う理由は、両者とも力を持ちながら何かを諦め、手放さざるを得なかった者ゆえの一種の儚さからもきているのだろう。

 今の時点で、時音がそれに気付くことは無い。




























 その夜、結論から言うとは学校に来なかった。

 前日にあるじを背に乗っけて颯爽と飛び去った獣が再び来て、一言『用が出来た』。



「なんっじゃそりゃー!!!!!」




 昼寝の時間を削ってまで早めに来た良守が、若干寝不足の顔で叫んだ。















 同時刻、人気の無くなった無色沼。

 じっと水面を見つめる少女がひとりいた。

 風が吹いても揺れない水面に、静かに眉根を寄せる。


 今日、学校から帰ると留守番電話が入っていた。

 相手は4つ年上の次兄。よくかかってくるので何の気なしに再生ボタンを押しただが、用件にすこしだけひっかかりを覚えた。



 家には、代々守護を仰せつかる場所が幾つか存在する。

 さすがに学校は無いが、神社、寺、丘や住宅街の一角だったり、湖や溜め池など。

 今日、そのひとつである湖の主が目を覚ましてしまい、その住まいを直しに本家が行ったという。

 ただそれだけのことだが、あまり本家が出てくる話題を好まない次兄の言うことだけに、術師の本能が異を告げる。



 そして思い出すのだ。

 学校に通ってはいたものの、それ以外は寄り付かないよう細心の注意を払っていたこの土地に派遣が決まったとき。

 ここについての詳細を聞かされた中に、沼の存在があったことを。







(……お兄ちゃん、勘大当たりっぽいよ)

 知らず、目元に苦笑が浮かぶ。


 は関西の術家だが、本土のためこの地とは地続きで繋がっている。

 たとえ遠く離れていようとも、異界とかかわるこの類の事象に物理的距離は無いといっても良い。

 特に地続きなら、電話線があろうとも地下道が通っていようとも、土は影響を伝えやすい。

 近いうちに何らかの事件でも起きるのではないか。その警告を、次兄はかなり遠回しに伝えてきたのだ。

 直接気をつけろと言わなかったのは、杞憂であってほしいという彼の思いだろう。





 けれど術の多岐にわたる豊富さについては右に出る者はいないとまで言われるの家系を、実に如実に現したの家。

 ほぼ本能的にこの世界の異変を感じ取る能力に長けた次兄の読みは、結構な高確率で当たる。








 ざくり、と沼の岸に近づいて、そっと水面に左手を当てる。

 綺麗に波紋を広げた水に、少しだけ手を浸けた。




 自分の力はこの類には物凄く不向きだが、少しぐらい出来ないといざというとき大変だという父の教えに従っていて良かった。

 仕事は休むと言伝を頼んでおいた。慣れないことに力を使い果たしても支障は無い。

「…………よし」

 意気込んで、目を閉じる。念のために探知用の結界を張り、他は全神経を水に浸けた左てのひらに注ぎ込んだ。




















 しばらくの間は深い深い闇しか視えてこなかったが、突然ぽっかりと空間がひらけた。

(…これが、沼の主の住まい)

 眠たそうな目をした妖がぼんやりと立っていた。

 自分の力で視ただけではなんとも言えないが、こんなところにいるのだから恐らくあるじなのだろう。

(やっぱり目覚めてしまわれた――――)

 影響なのかどうなのかは定かではないが、それでも同じ時期に目覚めたことに対して何か感じずにはいられない。












 ――と、ふいにとろん、としたあの目がこちらを見た。

 もっと正確に言うならば、――――を見た。















 びきん。




 言いようの無い緊張に身体がびしっと固まる。

(………………!)

 ただ見つめられているだけなのに動けなくなる緊張っぷりに、思わずおののいた。これが、土地神。








 やがて、その眠そうな顔から静かに声が発せられた。

 おそらく本人(人間ではないが)は普通に話しているつもりなのだろうが、神の領域に土足でお邪魔しているような杏子からすればそれはそれは怖い。

 閻魔大王と今の状況どっちが怖いかなーなんて現実逃避してみたりみなかったりするものだ。



『……………その混じりけの多い血筋……の術師か』


(―――――…そうです。)


『若いによう力を研いでおる………』


(……………。)


 そこで黙ると、主もそれから口を開かなかった。




(……何故お目覚めになられたのですか。)



『…ふむ………寝床が壊れてのう……』










 ――確信した。何かがおかしくなってきているのはやはり関西だけではなかったのだ。

 そう思った途端、ばちん!と探知用の結界が弾ける。

「っ!」

 一気に集中力が途切れて、力の流れが乱れたせいで主まで届いていた術が立ち消えてしまった。

(いや、今はそれどころじゃない!妖が――――…)

 気配を探ってみたが、それらしい妖は見当たらない。

 不思議に思って首を傾げていると、前方の暗がりから何かが現れた。



 はっきりとその影を確認して、思わず目を見張る。





 その姿は、ついさっきまで、おのれの手のひらで感じ取っていた姿そのもの。

 さきほどまでの緊張はほどけたが、目の前に存在していることに本気で驚いた。









「…………主殿……?」











 驚きのあまり呆然と呟くと、こくん、と何とも可愛らしい動作で土地神は頷いた。それと同時に聞いていた声とは別の声が張り上げられる。

 見れば小さな妖がその肩の上にちょこんと乗っかっていた。





『ウロ様じゃ!術師、よう覚えておれ!』





 ちなみに、ウロ様が学校に現れる前日のことである。



































 ウロ様とかいうなんか変なのが来て、寝床が壊れたらしいから直しに行くことになった。




 翌日、前夜休んだことへの不信感をあらわにした良守から聞いた内容はこんな感じのものだった。

 なぜか誇らしげなような、疲れたような微妙な顔をしているがそこはあえてスルーする。

 知っているにもかかわらずへぇー、とかウロ様?なんて白々しく聞いていたりしたのだが、それには2つの理由がある。

 ひとつは良守のへの要らぬ不審をうやむやにしてしまうためであり、もうひとつはがたったあれだけの時間では何の情報も得られなかったためである。


 こういう仕事においても、情報というのは何よりまず大切なもの。

 それは夜行で任務をこなしていても、実家で修行していても思うことなのだが、いかんせん土地神クラスにいきなりお目にかかったものだからすっかり失念していた。

 だからこそ興味津々にあれやこれやと根掘り葉掘り聞いてみたのだ。

 が、

(…これは、あんまり知らないっぽいな)

 がウロ様本人から聞いたこととほとんど内容は変わらない。

 割と早い段階でその予測はついたけれど。よもや直しに行く本人がここまで物知らずだとは思わなかった、というのが失礼ながらもの率直な感想である。


 けれどそれも仕方の無いことだと思う。

 いつもちょっと眠そうで、実際生活面ではあまり頭の回らない少年だが―――仕事のこととなると途端に何もかもすっ飛ばして重要な部分を無意識のうちに選び取る。

 その性格というか性質を知っているのだろう、当主があまり情報を与えていないとみた。良守本人も祖父から訊く気はさほど無いらしいが。

 知識も知恵も足りず、力は有り余っている――。今の良守はそんな感じだ。凶器をオモチャと思い遊ぶ幼子と変わらない。



 それは、の家をかつて内部争いに導き、今もその火を燻らせる原因となった昔の自身でもある。


 まだそのことは告げていない。言う必要も無い。なら、言わなくていい。



 こっちから攻めるよりも直接当たってみたほうが何か得られるかもしれないと内心つぶやいて、とりあえず見回りに行こうかと肩を叩いた。


















 妖の処理を援護しているふりをしつつ、少しずつ距離を取る。

 妖犬はの狙いに気付いたようだが、仕方ないねぇという顔をした。どうも見逃してくれるらしい。

 それに軽く片目を瞑ることで礼を示し、ある程度距離が開いたところで一気に敷地の外に出る。

 そこでようやく気配が離れたことに気付いた良守が「あ!ちょ、おい!!」とか何とか言っているが、おそらく妖の相手で手いっぱいだろう。

 処理がややこしいのが来てくれて今日は助かったと半ば邪な感謝をして、できるだけ飛ばして墨村宅へ急ぐ。さっさと片して良守が追いついてこないとも限らない。

 後々質問攻めにされるかもしれないが、その前に質問攻めにされるであろう斑尾たちが一通りのことは答えておいてくれるだろう。…たぶん。



 気配もあらわに墨村の家へ行くと、何事かと当主が顔を見せた。

 飛ばしすぎたせいで少し切れた息をゆっくりと整え、出されたお茶をずずっと啜って一息ついてから、ずばり単刀直入に切り込んだ。






「わたしも行かせてください」






 何にじゃ、という至極もっともな質問をじじいがしたのは言うまでもない。












 ++++++++


 えーと。

 実はこれ、6話に入れる予定だった話も入ってます。

 書いてみたらちょっと意外な方向に行ってしまって、そしたらどうしても短くなったので

「じゃあ入れちまえ!」という感じで無理矢理入れてしまいました。

 あは☆(いやそんな軽ノリで)